【異空間伝説03「医学伝説」】

igaku

 

 いうまでもなく医学関係は、病気という生死の境界をとりあつかう世界である。しかも現在では、大半の人間がその死を病院でむかえるような状況となっている。とすれば、そのような死とむかいあう病院・医療関係に、多くの怪談があるのに不思議はない。

 そのうえ医療世界は、われわれ一般人には閉ざされた密室空間でもある。診察をうけ検査をうけ治療をうけるとしても、自分のカルテになにが書かれているか知るべくもないし、薬をもらってもそれがどのように機能するのかよくはわからない。患者はひたすら、医師という専門技術者の指示にしたがうしかすべをもたない。

 生死の境界に位置しながらその内実にはふれられない密室、このような医療世界のもつ境界性と密室性からさまざまな噂話が生まれでてくるのであろうか。まずは、もっともよく知られている医学伝説からとりあげてみよう。

 

『死体洗いのバイト01』
《 さて、養老先生の本を読んでいる途中ですが、「死体洗いのバイト」について記述がでてきました。わたしもこの話と言うか、そんなものがあるというのは聞いたことがあります。
 この話の仕組みは、とても常人には出来ないようなことをさせるバイトがあるが、それだけに料金も高い、という仕組みになってますね。お金の欲と、恐怖心とのせめぎが、ポイントになるのでしょう。》
 
 大学病院などで、解剖用の死体を洗うという高給のアルバイトがあるという噂で、自分も聞いたことがあるというたくさんの証言があげられている。いくつか引いてみよう。

『死体洗いのバイト02』
《 高校時代の事ですが、同級生の悪友が実際に大学病院に尋ねに行ったことがあります。向こうの人いわく、「あんたもだまされて来やはったんどすか。そんなもん、おまへん。だいたい、死体関係は、おたくらみたいな若い人には扱ってもらいまへん。1日やったらうなされて寝られんようになりまんがな。」
 同級生の話しだと、「死体洗い」ではなく、解剖用の死体を水槽でホルマリン処理する仕事だそうです。時間が経つと死体がプカ〜と浮かんでくる。それを、竹竿かなんかでつついて沈めるだけでいいらしい。「楽そうな仕事なんやがな〜」と残念そうにほざいておりました(^^;。》

 大江健三郎の小説『死者の奢り』の一シーンが噂の発生源だという説もあるが、それはともかく実際にそのアルバイトをしたという人はいない。


『死体洗いのバイト03』
《 京大付属病院のバイトということで伝わっておりました。また、他に、人間モルモットのバイトの話も、ワリのいいバイト話として伝わっておりました。》

 このように、地元の有名な大病院の名前をかぶせてまことしやかにささやかれる。
 

『死体洗いのバイト04』
《 高校生の頃、友人から(加藤という奴だった)死体洗いのバイトしないかと誘いがありました。聞くと、恐いがかなり高額のバイト料なるらしく、実際にK大学付属病院にで募集してると言います。それじゃ、やろうと言う事でその友人と、申込にいって、そんな話しはデマだって言われた経験があります。25年程昔の事です。》
 

 外界からは見えない密室で洗浄される死体、あるいはホルマリンの浴槽に浮かぶ死体といった情景は、だれも見たことのないはずなのに不思議な現実感をもっている。このリアリティがこの噂の浸透力の強さなのであろう。

 実際にはありえないのがあきらかな噂が多いなかで、医学伝説にはひょっとしたらと思わせるものが少なくない。これは実際にはのぞけない密室的な世界の出来事であるだけに、逆に現実的な可能性を感じさせるのであろう。つぎの話も、奇妙な現実感をもってつたえられる現代医学伝説のひとつである。
 

『解剖教室の壁に耳あり01』
《 <壁に耳あり>って,解剖教室で実験して,退学させられた医学生ってのは,(出典は永井明)やっぱ噂なんでしょうね。誰か,当人をしってる人がいるのでしょうか?》
 


 ここにあげられた出典が噂の起源になったのか、それとも先行してあった噂が書物を経由してさらに広がっていったのかはさだかではない。いずれにせよこの話も、噂として聞いたことがあるという人がつぎつぎにあわられる。

『解剖教室の壁に耳あり02』
《 うーん。そうかあ。「壁に耳あり」の話には出典があったのですね。でもそれ、いつの本ですか?私は10年以上前にこの話を知り合いから聞きましたよ。私の聞いたヴァージョンは「ある医大で、解剖実習の最中に、学生のひとりが、御遺体の耳を切り取って壁に叩き付けて『壁に耳あり!』と言った。秀逸なジョークで実習室の雰囲気は和んだが、その学生は退学になった」というものです。》
 

『解剖教室の壁に耳あり03』
《 壁に耳あり、のネタは、どこの大学でもあるらしく、どこの医学部生も、「それは自分の学校の話だ」といってはばかりません。本当はどこなんですかねぇ。》
 

『解剖教室の壁に耳あり04』
《 壁に耳ありネタ 現役の看護学生さんから聞きましたが、「献体なんかやめた方がいいよ」といってこの話をしてくれたんです。つい最近聞きました。一般論であるかのような口ぶりでした。》
 

 まさにこのように噂が広がっていくのかと思われるぐらい、投稿の連鎖は興味ぶかい。死体の解剖という常人からすれば異様な光景と、死体をただのモノとして取り扱う当事者とのあいだにあるイメージの落差からこのような伝説がつむぎだされるのであろう。

 主人公の医学生は、遺体をモノとしてしか感じられなくなって玩具にするという、常人感覚の麻痺した医療関係者の代表としてとらえることもできる。また他方では、そのような感覚になじみきれない初心の学生の異常行動として、噂を伝えあう一般人の批判感覚をあらわしているともみなせる。そのようなイメージのねじれがこの話にリアリティをもたせている。いずれにせよ、噂の伝達者にとってこの解剖教室は、かいまみることのできない異空間としてグロテスクに想像されることはまちがいない。
 

 治療現場では患者はすべてを医者にゆだねるほかはなく、あなたまかせの密室でどうされるかわからないという不安を、極端に拡大した噂話をひとつ紹介しよう。歯科医での話である。

『歯医者での怪』
《 小学生時代に見聞した噂を思い出しました。当時住んでた地方の市の私のテリトリィには2軒の歯医者がありまして
誰言うとなく□□歯科は善い歯医者で、○○歯科は悪い歯医者だ、ということになっておりました。
 どうしてそうなのか子供目には識別できなかったものですが、あるとき、悪い歯医者の擦硝子窓の下をクラスメイトと通りがかりました。すると級友は徐に、最近あったことだがと断りながら次の話をしてくれました。
 何事が起こったものか、突然恐ろしい悲鳴が通りまで聞こえ、なにやら金槌か木槌でゴンゴン打ちつける音が聞こえ、
続いて「助けて〜」の絶叫が聞こえてきた。ゴンゴンという音は次第に凄みを増し、ついにはグオングオン鳴り始め、
と、急に病院の玄関の戸がばたんと開かれ、顎を両手で押さえたおじさんが裸足で飛び出してきて脱兎のごとく逃げていった。》

 

 医学関係者は常人の生理感覚を超越しなければやってられない、といった主題の噂も多くある。つぎの話も、一般人の感覚とのギャップが伝説のエッセンスとなっている。

医学生は尿もなめる01』
《 ある教授が学生の前でコップを手に語ったそうです。医学者には旺盛な好奇心が必要だ。このコップには糖尿病の疑いのある患者の尿が入っている。簡単に確かめるには、こうすればよい。と言ってコップの液に指をつけ、ペロリとなめた。そして、君達の中で、誰かやるか。次の試験で10点、上乗せしよう。と言ったので、一人の学生が手を上げ、やってみた後、その教授は言ったそうです。医学者には冷静な観察力も必要だ。私がコップに入れたのは中指で、なめたのは人差し指だ。  20年くらい前、京大医学部学生に聞いた話。》
 

 これには、ローカルな世界で20年間も語りつがれているというつぎのような証言もえられた。

医学生は尿もなめる02』
《 糖尿病の患者さんの尿の話は、私も大学の知人に聞いたことがあります。私は現在学生なので、その話は、二十年前から現在まで語り継がれているって言うことですねぇ。あらまぁ、すごい。》
 

 最後に、艶笑小咄ふうの話題をひとつ紹介してつぎの課題にうつろう。

歯垢中の見慣れない菌』
《 折角ですからもうひとつ紹介しておきましょう。これも「或る医大」でのお話。授業で、お互いに向かいの学生の歯垢を採取して顕微鏡で観察する、というのをやった。
 或る学生の向かいは女子学生だったのだが、その彼女の歯垢に見たことのない細菌があったので彼は教授を呼んで質問した。『先生、見慣れない菌があるのですが』
 教授がやってきて顕微鏡を覗いて一言 『君、これは精子だよ』》
 

*『現代伝説考(全)』はこちらから読めます
http://www.eonet.ne.jp/~log-inn/txt_den/densetu1.htm