梶井基次郎『檸檬』

zensyu

梶井基次郎檸檬』】
 

 「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた」


 『檸檬』はいささか大仰な書出しで始まるが、当時すでに肺病を発症し、それに伴う発熱や神経衰弱に悩まされていた梶井基次郎の鬱屈した不快な心境を表わしたものだろう。京都三高に貧乏学生として籍を置きながら、しだらくで不摂生な生活をおくり落第を繰り返していた。その時期のすさんだ下宿生活を思い出して書いた作品が『檸檬』だった。

 そのような私は、丸善書店で、さまざまな舶来雑貨を眺めることで気ばらしをしていた。丸善書店は輸入洋書を並べるとともに、文具などの舶来輸入雑貨をも取り扱っていた。いわば西欧文化の窓口として、その西洋の香りを肌身に感じられる場所でもあった。


 いつものように、下宿先から日の暮れた京の街中を徘徊する途中で、ある果物店の店頭にある檸檬を一つ買う。そのころの檸檬は輸入品で、一つとは言え貧乏書生には高価な贅沢であった。肺病で熱っぽい肌に、その檸檬の冷たさは心地よく、産地カリフォルニアを思わせる鼻を撲つ香りが、執拗にとり憑いていた憂鬱を取り払ってくれた。

 いつの間にやら、丸善書店の前に来ていた。久しぶりに入ってみたが、そこに並ぶ小物は、以前のように私の気鬱をはらしてはくれなかった。そこで檸檬を取り出すと、重たく高価な画集を並べて、その上に置いてみた。その即興のオブジェは、私の気持ちをなごませた。

 さらに、檸檬をそのままに外に出るというアイデアが浮かんだ。あの気詰まりな丸善の店頭で、檸檬爆弾が大爆発する、そのような想像をめぐらしながら、痛快な気持ちで京都の街を下って行った。
 

 梶井基次郎は、京都に縁が深い作家と思われているが、京都を舞台に描いたものは、この「檸檬」と「ある心の風景」の二短編だけである。大阪に生まれ、銀行員の父親の転勤によって移動したが、やがて旧制大阪府立北野中学を卒業、京都第三高等学校理科に入学した。三高では留年を含め5年間在学したが、京都の下宿を転々とするとともに、肺結核で大阪自宅で療養したりする。「檸檬」などの作品は、おおむねこの時期の京都住まいの体験に基づく。やがて、なんとか三高を卒業すると、東京帝国大学英文科に入学するが、病気中退している。


 小説『檸檬』は、ほぼ事実にそって書かれているので、その当時の足跡をたどれる。以下、地図上に印したが、「檸檬」を買ったのは寺町二条角にあった果物店「八百卯」だとされる。梶井の小説にちなんでレモンでウインドウを飾って頑張っていたが、2005年に閉店した。戦前には、レモン、パイナップル、バナナなどは輸入品しかなく、超高級果物であった。梶井のような貧乏学生にとって、レモン一個買うのも、かなりの贅沢をする勇気が要ったはずである。

 初代「丸善書店」は、小説『檸檬』の舞台となった当時、三条通麩屋町①にあったそうだ。その後、1940年に、河原町通蛸薬師に二代目店舗②を新築して長年営業していたが、2005年に閉店。のち10年ほどを経て、二代目から少し北に上ったファッションビル「京都BAL」の一フロアを占有して、三代目③として再開店したようだ。


 丸善書店は、通常の大型書店というのとはかなり異なる。もともと高級舶来品の輸入商社として創業した専門商社であり、輸入洋書が中心であるが、雑貨小物や文具ほか、英国製紳士用スーツ生地やコートなどの舶来品を扱う。文士、画家、大学教授などが、ここで英国製生地の紳士服をあつらえ、ドイツ制眼鏡フレームから各国製のパイプやライターなど喫煙具、そしてモンブランペリカン社製の万年筆を愛用するなど、エスタブリッシュなインテリ紳士御愛用の店であったのである。

 私が何度か訪れて知っているのは二代目の河原町店だが、正面入り口を入るとバーバリの高級コートが飾ってあり、広々としたフロアには、高級皮装丁の洋書などが並んでいる。中二階にはスタンドカフェがあり、学生ぽい若者が、買ったばかりの『檸檬』の文庫本をカウンターに置いて珈琲をすすっていたりする。かつての梶井と同じように、今でも文学かぶれの貧乏学生が、その雰囲気を味わおうとやってくる場所でもあったのである。


 私も、貧乏学生として万年筆など高額なものは買えないが、著名文士などが愛用している丸善特製原稿用紙を買って、ひそかに気取っていた時期がある。若気のいたりとして、もはや時効であろうが(笑)