風に吹かれて風の歌を聴け

【風に吹かれて風の歌を聴け
 
「完璧な文章などといったものは存在しない。絶望が存在しないようにね」 ―― 村上春樹風の歌を聴け』冒頭より
 

 「完璧な"〇〇"などといったものは存在しない。"絶望"が存在しないようにね」――たとえばこの倒置された会話文を、本来の語順にもどすと「"絶望"が存在しないように、完璧な"〇〇"などといったものは存在しない」となる。この場合〇〇に入るのは、"希望"といった対義語に限定されるはず。この文に、原文のように"文章"という語を入れてみると、明らかに前後の脈略がなくなって意味不明な文章となってしまう。

 村上春樹の文章には、このように一見意味があるように思えるが、その内実のない空虚な文が多い。これは読者に自由かってな読み込みを許すとともに、若者が置かれている、意味が捉えがたくなっている今の世界の表象でもある。若者にとっては、取り巻く状況をうたい上げるフォークソングの歌詞のように、村上春樹の小説を「聞き流す」のがこころよいのだ。これが、「村上春樹文学」が世界中の言語の下でも受け入れられる根拠でもあろう。

 以前には、「完璧な"ノーベル文学賞"などといったものは存在しない。絶望が存在しないようにね」と言った単語置き換え遊びをやってみた。村上春樹の文の空虚さを確認する試みでもあったが、まさにこれがそのまま該当するかと思われる事が起こった。ボブ・ディランノーベル文学賞がそれで、フォークソングの歌詞が果して文学かという議論もあった。

 これは、フォークソングの歌詞のように「気分だけ共有して聞き流せる」というものを、ノーベル文学賞選考委員会が「文学」だと認めたということで、同じような受容のされ方の「村上春樹文学」が受賞しておかしくないということだ。逆に言えば、一旦その種のものに文学賞を授与したからには、村上文学はしばらくスキップされるのかも知れないが、それはもはや関心外のことだ。
 


 もし日本に文壇史なるものがあったとすれば、その文壇が消えてなくなって久しい。文壇史を展望しようとした著作は伊藤整日本文壇史講談社瀬沼茂樹日本文壇史講談社、さらに川西政明「新・日本文壇史岩波書店と、膨大な巻数を数える。しかし私の知る限り、明治、大正、昭和と続く文壇も、・・・「第三の新人」、「内向の世代」ときて、ほぼ消滅したと見える。

 文壇が消え去っても何の痛痒もないし、文学に果たした文壇の独自の意味も見出しがたいが、同じような文学世界観を共有するグループの存在は、一通りの目安としての役割を果たしてくれた。ほとんど文壇スキャンダル史とも言える「新・日本文壇史」を書いた川西政明は、その文壇消滅の最後に、スキャンダルらしいスキャンダルもない「村上春樹」を単独でもってくる。

 文壇とは、ある程度「文学的世界観」を共有する緩やかな同時代人グループとでも呼べば良いのだろうが、明治以降の近代文学で一貫して共通するのは、少なくとも「純文学」と呼ばれた世界では「"私"をめぐる問題」が最優先された。それは日本文学固有の性格であり、その世界を狭隘にしたものでもあったが、とにかくそれは文壇史を一貫して来たと言える。

 然るに川西政明は、『春樹は「私が私であるのはいやだ」という自同律の不快から出発し、「世界の終り」にいた「僕」を救出する場所までやってきた。』と指摘する。つまり村上春樹は、「私」を拒否することで私の自己撞着から免れようとする。窮屈な近代世界の「私」に窒息しそうな若者たちにとっては、それはビデオゲーム同様の「私からの解放」とうつるだろう。

 村上春樹の文学は、たしかに「私からの解放」であった。それは、「文壇」および「文壇史」からの解放でもあった。しかしそれは同時に、日本文学固有の「私」の死でもあった。つまりは、日本文学の消滅を意味する。これは「私の自己同一性」を否定する現代思想/ポストモダンの思想と軌を一にするものであるが、そうであるなら、もはや「文学」である必要もないのではないか。

 私は村上春樹と同年代であるが、文学的には「第三の新人」など一世代前の文学に馴染んできた。そして、村上春樹以降の世代の文学は、まったく読めなくなった。それ以降の世界の表現には、文学よりも、漫画・アニメ・映画・ポップスソングなどという媒体がより適しているのではないかと思われる。当然これは、私の個人的な思いに過ぎないが。