餅つき

mochituki

【餅つき】
 
 京都の実家での子供時代には、毎年年末30日になると自宅の土間で「餅つき」をやった。「おくどさん(カマド)」に「せいろ」を積み上げてもち米を蒸し上げる。それを木の「うす」の上でひっくり返し、父親が「きね」でつく。きねの合間に、脇で餅に水をつけたり返したりする役目は「てもと」と言ったかな、母親の担当。たまに子供も餅をつく真似事をさせてもらった。


 つき上げた餅は、基本は「丸餅」に丸める。「ふね」と呼ばれる木枠の平べったい長方形の入れ物の上で、ちぎったり丸めたりするのは子供や老人の仕事。まれにひと臼分は平たく広げた「のしもち」にして、数日後に「角餅」に切る。同じ「のしもち」でも長細く棒状に伸ばして、色粉などで色付けしたものもある。これは薄く切って、干して乾燥させて「かきもち」にする。


 最後のひと臼で「鏡餅」をつくる。これはベテランの大人でないと形を作るのが難しい。三段重ね、上に「だいだい(橙:小さめの柑橘類)」を乗せて奥の床の間に飾る。餅つきの途中で、ちょいとした腹ごしらえに「おろし餅」を食べるのも楽しみ。つき上げた臼から、付き手が一口大にちぎった餅を、大根おろし醤油の鉢に投げ込んでくれる。熱々の餅を、おろし醤油で冷やしながらパクつく。餡やきな粉でくるむ「おはぎ」もあったな。


 さて本題は、丸餅と角餅の分布で、関西=丸、関東=角とほぼ見当は付けていたが、詳しい図があった。雑煮の違いも書いてあるが、京都では甘い白みその丸餅で、大根や人参の刻んだものと煮て食べた。七日正月には七草ならぬ、すましに水菜の雑煮だった。

 この頃になると、鏡餅を割ってしまわないと固くなってどうしようもなくなる。すでに赤カビ青カビのついたのを削りながら割るのはかなりの力仕事だった。とにかく正月15日ぐらいまでは、奥の間などに餅を広げた「ふね」が積み重ねてあって、寝る場所もないありさまだった。