『Get Back! 20’s / 1928年(s03)』

『Get Back! 20's / 1928年(s03)』
 
普通選挙治安維持法
○2.20 普通選挙制による初の衆議院選挙が行われる。


 1925(大正14)年、加藤高明内閣は普通選挙法を制定、それまでの納税制限なしに25歳以上の成人男子に選挙権が与えられた。ただし女性が対象になるのは第二次大戦後の民主化を待たねばならず、普通選挙とは名ばかりだった。

 この1928(昭和3)年2月20日に、田中政友会政権のもとで初の普通選挙衆議院選挙が行われた。その結果、466議席のうち、政友会217、民政党218、新たに無産政党系からは計8名が当選した。選挙中、政府は露骨に野党候補を妨害したが、結果的に与党政友会は過半数を得られず、しかもキャスティング・ボートは新参の無産政党に握られる形になった。


○3.15 共産党員が全国で一斉検挙される。(三・一五事件)


 第一次世界大戦末期ロシアで共産主義ソビエト政権が成立し、国際共産主義運動の機運が高まる中、普通選挙法下の衆議院選挙でも無産政党の進出が懸念された。そのような危惧のもとに、普通選挙法を成立させた加藤内閣は、同時に治安維持法をも成立させた。

 「国体を変革しおよび私有財産を否認せんとする」結社・運動を禁止する治安維持法では、共産主義者という疑いだけで個人を逮捕・投獄することが可能であった。最初の普通選挙後、社会主義的な政党(無産政党)の活動に危機感を抱いた田中義一内閣は、3月15日、治安維持法違反容疑により全国で一斉検挙を行い、非合法政党の日本共産党労働農民党などの関係者約1600人が検挙された。

 プロレタリア文学の作家、小林多喜二は、この三・一五事件を題材に『一九二八年三月十五日』を発表するも、発売禁止とされる。さらに多喜二は、代表作『蟹工船』などを発表して、プロ文の旗手として注目を集めたが、その後特高に狙われ治安維持法で逮捕された。『一九二八年』では、特別高等警察による苛酷な拷問の描写が話題になったが、皮肉にも自身がその特高の拷問で殺されることになったのであった。


 4月になると、京都帝国大学河上肇が、赤色教授として辞職を迫られ退職を余儀なくされる。さらに東京帝大の大森義太郎、九州帝大の石浜知行、向坂逸郎佐々弘雄らの左翼系学者が、次々と大学を追われることになる。この種の思想弾圧は、軍国化が進むとさらに自由主義系思想にまで進んで行くことになる。
 

【中国侵略の拡大】
○5.3 [中国] 山東省へ出兵した日本軍が、国民革命軍と衝突。8日、済南総攻撃を開始し、11日には済南城を占領する。(済南事件)


 1928年3月、蒋介石が北伐を再開すると、日本も山東省の権益維持のため、中国各地から山東省に部隊を派遣し、日本軍と北伐軍が対峙することになった(第二次山東出兵)。その後5月3日には、北伐軍兵士による略奪・暴行・陵辱・殺人事件がひき起こされ、さらに日本人9人の惨殺死体が発見されると、日本は関東軍からさらなる増派することになる(第三次山東出兵)。

 5月8日、日本軍は市内の日本人保護のために済南城を攻撃、北伐軍を城外へ追い出すとともに、済南城ならびに済南全域を占領した(済南事件)。この事件で中国側軍民に数千人の死者をだすなど、蒋介石の北伐軍は日本軍に対する遺恨をもち、一方で日本の民間人惨殺などから、日本世論の中国に対する感情は悪化した。


○6.4 [中国] 奉天に引き揚げる途中の張作霖を乗せた列車が関東軍によって爆破される。(張作霖爆殺事件)


 山東出兵では田中内閣の不干渉主義にそって、かろうじて拡大を自重した軍も、関東州の日本軍は政府方針を無視し、満州で実力を維持する奉天軍閥張作霖を、奉天近郊で列車ごと爆殺する事件を起こした。日本政府は犯人を伏せて「満洲某重大事件」と呼んでいたが、関東軍参謀河本大佐などが計画的に実行した陰謀事件であることが明らかになっている。

 張作霖は、中華民国総統となった袁世凱が死去すると、武力で黒竜江省吉林省も含めた東三省全域を勢力圏に置き、「満洲の覇者」として君臨ようになっていた。北伐を進める蒋介石の国民党軍とも対峙したが、関東軍満州支配に邪魔になると考え、北伐軍との戦闘をやめて奉天へ帰還する途上の張作霖の列車を爆破させた。

 この後、関東軍は、柳条湖事件、盧溝橋事件などで暴走を進め、満州事変、日中戦争と大陸にのめりこんでゆく主導的役割を果たすことになった。
 

○7.28 [オランダ] アムステルダムで第9回オリンピック大会が開催される。


 第9回夏季オリンピックは、1928年7月28日から8月12日まで、オランダのアムステルダムで開催された。日本は第5回スェーデンのストックホルム大会で初参加、第7回ベルギーのアントワープ大会、第8回パリ大会と(第6回ベルリン大会は第一次世界大戦のため中止)、参加経費などの工面に苦労しながらも参加を続けてきたが、その成果はこのアムステルダム大会で発揮された。


 陸上競技三段跳び織田幹雄、競泳200m平泳ぎで鶴田義行が金メダルを獲得。また、この大会から初めて女子の陸上競技への参加が認められ、日本から女子選手として唯一人参加した人見絹枝は、800m走で女子初めて銀メダルを獲得した。最終的に日本選手団は、金2、銀2、銅1、入賞者合計では11名と大活躍をみせた。

 この大会から初めて女性の参加が認められたほか、聖火が大会を通じて継続して燃やされた最初の大会でもあった。またコカ・コーラ社が初の大会スポンサーとなって、コカ・コーラが参加関係者に支給されるなどした。しかし、この時期の大会ではアマチュアリズムが徹底され、トップ選手のプロ化が進みつつあったテニスは実施競技から除外された。またこの大会で通算9個目の金メダルを獲得したフィンランドの中長距離陸上選手パーヴォ・ヌルミは、後の賞金大会に出たという理由から、以降の五輪参加を認められず最後の金となった。


 女子でたった一人日本から参加した人見絹枝は、100m走、200m走、走幅跳びで世界記録を出すなど、日本女子アスリートの先駆者であった。アムステルダム五輪では得意の走り幅跳びや200m走は実施されず、事実上100m走に絞って出場したが準決勝4位で敗退してしまう。そこで人見は、それまで走ったことのない800m走への出場を急遽決め、決勝ではドイツのリナ・ラトケに次ぐ2着となり、日本人女性初のオリンピックメダリスト(銀メダル)となった。

 アムステルダム五輪後も、人見は競技者として各地に遠征する傍ら、後進の育成、講演会や大会に向けての費用工面などに忙殺された。1930年には、国際女子オリンピック大会への遠征費捻出のために、国内の競技に出場しながら募金活動に駆けずり回り、一カ月以上かけての船便で欧州に向うと、女子選手団を率いて、プラハでの国際女子競技大会をメインに欧州を転戦。半月の内に5つの大会が集中するなど、肉体的精神的に疲労困憊、人見は体調を崩しながらも競技に出場し奮闘した。

 帰りの海路ですでに体調は悪化していたが、年末に帰国した後も遠征報告や募金へのお礼などで走り回り、過労がたたり翌3月に喀血、結核性肋膜炎で阪大病院に入院、8月2日結核からくる肺炎を併発して死去、享年24。奇しくも、アムステルダム800m決勝の日から、ちょうど3年後の日であったという。
 

○8.27 [フランス] パリで、不戦条約が日本などの15か国によって調印される。「パリ不戦条約」


 第一次世界大戦での反省から、諸国間で「国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する」との不戦条約が結ばれた。パリで条約が調印されたので「パリ不戦条約」と呼ばれ、当初交渉を始めたのは米仏間で、米国務長官ケロッグと仏外相ブリアンの名前から「ケロッグ・ブリアン協定」とも呼ばれる。

 紛争は戦争ではなく平和的手段により解決すると規定され、「戦争放棄に関する条約」とされる。それまでの19世紀的戦争観によれば、主権国家は相互に対等であり、個人間の「決闘」のごとく、互いの存在と尊厳を守る手段として、国家は戦争に訴える権利や自由を有すると考えられていた。


 不戦条約はこの国際法の無差別戦争観を否定するものであり、国際的に戦争を放棄する条約は画期的であった。条約違反を超越的に抑止する機関はなかったが、不戦条約違反とされた国があれば、他の諸国は自動的に制裁権(制裁戦争)が履行できるとされた。

 ただし、米国などから「自衛の戦争は除く」という制限が付け加えられたため、結果的に「(自衛を除く)侵略戦争」のみを禁止する条約となった。しかも「侵略」の定義が「当事国の自国裁量権に任せる」とされたため、何でも自衛のためと理屈つけられる抜け道だらけの条約となった。あの大東亜戦争をも含めて、その後戦争を引き起こした国は、いずれも侵略戦争であることを認めたためしがない。

 不戦条約が物理的な抑止力の無い理念的なものとなったため、その後各国は「集団安全保障」体制を組むことになる。議論になった「集団的自衛権」は、集団安全保障体制に限定されるものではないが、少なくとも集団的自衛権を行使できることが、集団安全保障に必要な双務的要件であることは自明である。
 

*この年
ダンスホールが人気/オカマ帽・ラッパズボン・ミニスカートが流行/天皇への直訴が6件を数え、奉書紙の購入には住所氏名の明示が義務となる
【事物】国産電気吹込式レコード/普通選挙
【流行語】弁士中止/人民の名において/モン・パリ/マネキンガール
【歌】波浮の港佐藤千夜子)/アラビアの唄(二村貞一)
【映画】新版大岡政談(伊藤大輔)/十字路(衣笠貞之助)/暗黒街(米)
【本】「マルクス・エンゲルス全集」(改造社)/坪内逍遥訳「沙翁全集」/林芙美子「放浪記」(女人芸術)/川上肇「資本論入門」/講談社「講談全集」