野坂昭如、逝く 03

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野坂昭如、逝く 03】
 

*『エロ事師たち

 野坂昭如の小説家としてのデビュー作。それまで野坂は、雑誌のコラムやCMソングの作詞などをやりつつ、「(自称)黒メガネのプレイボーイ」などとして雑誌に登場したりしていた。

 「オモチャのチャチャチャ」でレコード大賞童謡作詞部門を受賞したあと、小説中央港公論に「エロ事師」を連載し始めると、当時の文壇の中央に居た吉行淳之介三島由紀夫に絶賛され、その後、長編として書き上げて一躍流行作家となった。
 

 作中では、ブルーフィルム、トルコ風呂、白黒ショー、エロ写真、ゲイバーなどなど、当時の昭和風俗がカタログのように展開され、野坂独特の文体がユーモラスに描き出す。井原西鶴の俳文を連ねたような文体に、関西弁の会話が要所にはさまり、物語りは、義太夫浪花節など上方文化固有の語りもののごとくテンポよくすすむ。
 

 「エロ事師たち」が評判になると、同じノリで「とむらい師たち」を書く。「エロ事師たち」が「生と性」の狭間でたくましく生きる人間たちを描いたとすると、「とむらい師たち」は「生と死」の境界を生業(なりわい)とする人間たちの、生命力豊かなうごめきが描かれている。
 
 

*『アメリカひじき/火垂るの墓

 『火垂るの墓』がジブリのアニメであまりにも有名になってしまい、野坂昭如がその原作者であることを知る人も少ないかもしれない。この短編集は、『火垂るの墓』と『アメリカひじき』が昭和42年度下の直木賞受賞作となり、他の初期短編と併せて刊行されたものである。
 

 短編集のタイトルとしては『アメリカひじき』がむしろ先に置かれており、いわばこれがA面、『火垂るの墓』がB面という扱いになっている。野坂にとって「アメリカひじき」は、それほど思い入れのあった短編であったと思われる。「火垂る」が、戦時中に亡くなった幼い妹への鎮魂歌であるとすれば、「ひじき」では、戦争を生き延びた「その後」を、散文的で滑稽な人間模様として描きだしている。

 すでに進駐軍の占領下になっており、戦後の食糧難下で不定期にわずかな食糧が配給されてくる。希望するものが配給されるわけもなく、ときには進駐軍が提供する馴染みのない食糧とかも回ってくる。私たちが学校給食で悩まされた脱脂粉乳なども、当初は米国で家畜の飼料用の脱脂粉乳が提供されたのが始まりだという。
 

 『アメリカひじき』は、野坂自身の戦後の焼跡闇市体験を題材にした作品で、敗戦直後の進駐軍に対する卑屈な経験を思い起こし、米軍の補給物資をくすねて分け合った経験など、滑稽な逸話が語られる。ドラム缶にいっぱい詰められた乾燥された真っ黒な粒子、はて何かといぶかるうちに、誰かが「ひじき」だという、つまり「アメリカひじき」というわけだ。

 何度も煮だして濃い茶色のアク汁を捨て、やっと煮詰めた真っ黒な物質はなんともまずい。米軍は何でこんなまずいものを食ってるんだと嘲笑ったが、後日分かったところによると、それはブラックティー、つまり紅茶を煮だして、出しがらの葉を煮て食っていたというわけで、そんな惨めで恥ずかしい思い出が語られる。

 『火垂るの墓』では、主人公の清太は死んでしまうことになっているが、『アメリカひじき』では、戦後を生き延びた俊夫という主人公の「その後」物語ともなっている。
 
 

*『戦争童話集』

 表題通り、戦争を背景にした童話集。とはいえ「戦争」と「童話」という本来的に馴染まないものを結び付け、いわば大人のための童話集となっている。いくつかタイトルだけ、並べてみる。

〇「小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話」
〇「青いオウムと痩せた男の子の話」
〇「八月の風船」
〇「捕虜と女の子」  etc.