マインドフルネスについての応答(番外編)

2015/12/02「他ブログでの紹介&アートサイエンスクラス近況」
http://kosodatekyua.com/2015/12/artscienceclassmoon/

>>Sasaki,Nobuo
December 3, 2015
 おひさしぶり。当方ブログへの転載を案内いただき、ありがとうございます。

 英語でも月齢により呼び名があるんですね。陰暦を採用していたかつての日本でも、風情のある呼び名が付いていたようです。とくに満月以降、欠けていく月には、人々の想い入れまで込められているようで楽しい。ざっと並べてみます。

 15日目=十五夜・満月・望月[もちづき] 「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の・・・」と藤原道長がうたったとされますが、これは時の権力者のおごりが目だってあまり風情がないですね。

 16日目=十六夜[いざよい] 日没と同時に昇る満月よりは、少し遅れて「いざよい=ためらい」がちに出てくるからだそうですが、『十六夜日記』などがあるように、古代の人はその奥ゆかしさを愛でたのかもしれません。

 以降、17日目= 立待月[たちまちづき]、18日目=居待月[いまちづき]、19日目=寝待月[ねまちづき] と続きます。それぞれ、月の出るのを、立って待つ、座って待つ、横になって待つという感じでしょうか。月を待つことになっていますが、それを恋人を待つ気持と考えれば、そのまま和歌になるわけですね(笑)

 20日目=更待月[ふけまちづき] 文字どおり夜更けまで待つわけですが、実際には今の午后10時ごろらしく、昔の人はきわめて早寝だったようです。

 23日目=下弦の月[かげんのつき] 上弦、下弦というのは、月の形を弓に見たてたからですね。見え出すのはまさに深夜。

 26日目=有明の月[ありあけのつき] 明け方になってやっと昇ってくる。いにしえの恋人たちが「後朝[きぬぎぬ]の別れ」をする時刻です、なんとなくこころ残りな気もちを抱きながら(笑)

 とまあ、暇に飽かせて調べてみました。むかしの人は、かくも月に情緒をこめたのですね。
 

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>>長岡真意子
December 4, 2015
佐々木さんお久しぶりです!コメントをありがとうございます!

佐々木さんのあげてくださった「情緒溢れる」日本語の呼び名を眺めながら、英語との違いに感じ入っていました。遠いアジアの国のひとつ日本には、こんな月の呼び方があるのよ、クラスでもいつかそうシェアできたらなあとアイデアが膨らみます。

秋の季語満載ですね! 時の権力者がその覇権を満月にたとえたり、少し遅れて昇る月に「いざよい」という奥ゆかしさを重ねたり、夜更けや(当時は10時で夜更けだったんですね!)明け方に昇ってくる月に、恋人との関係を見たり。

「むかしの人は、かくも月に情緒をこめたのですね。」

本当ですね。英語には、Waxing:growing(膨らんでいく), Wanning: shrinking(縮んでいく), Gibbous: more than half is illuminated(半分以上が照らされている), Cresent: less than half is illuminated(半分以下が照らされている)といった言葉を組み合わせた極めて「ロジカル」な名称しかないなあと。

楽しい言葉の数々をありがとうございます! 楽しくなって一句。(笑)

古(いにしへ)の言葉並べて月冴ゆる  真意子 
  
冬の月を見上げ、楽しい週末をお過ごしください!
 

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>>Sasaki,Nobuo
December 4, 2015
補足 下弦に比べて上弦の時期の月には、これと言った呼び方が少ないのは何故かと思った。考えてみると、この月の前半期間には、日が暮れた時にすでに空に昇った状態で見えてくるんですね。つまり「月の出を待つ」という、心の待機時間がないわけで、そこでもろもろの情感も生まれにくいということでしょうか。

 せいぜいが「三日月」、夕暮に西の空に見え出し、まもなく沈んでゆくということで、夕暮れ時の情感をかもし出す月です。行水を済ませ、浴衣を着せてもらった子供が、うちわを掲げて西の空を仰ぎ見るような、紋切型の構図などが浮んできます(笑)

 「十三夜」の月は、十五夜と並んで美しい月とされるようです。お月見の時期には、片方だけ観て済ますのを「片月見」といって避けられたとか。もっともこれは、江戸の吉原では双方の月を観る宴を催し、客を二度呼び寄せるという営業戦略から始まったとも言われます。土用の丑のうなぎや、バレンタインデーのチョコみたいな、業者の仕掛けとなると、急に俗っぽくなりますね。

 樋口一葉が『十三夜』という作品を書いていますね。当時の女性の置かれた、哀しさ満ち足りなさを描いたものに「十三夜」と名付けたのは、満月に満たない微妙な欠落感を重ねたからなのでしょうか。


いたづらに冴えざえと見ゆ下り月  何爺
 

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>>長岡真意子
December 5, 2015
佐々木さん、これまた楽しい補足をありがとうございます! 毎晩月を見上げるのが楽しみになりそうです。

上弦の時期の月にこれといった呼び方が少ないのは、いまかいまかと月が出るのを待つ待機時間が少ないため、もろもろの情感が生まれにくいのかもしれないというの、なるほどです! 

夕暮れ時には西の空に既に見えている「三日月」、行水をすませ浴衣を着て見上げる子供。情景が浮かびます。江戸時代には、「十三夜」と「十五夜」をセットで見ましょうというような風習が生まれたんですね。それは吉原の「営業戦略」から始まったと。こうして月についてのお話を聞いていると、樋口一葉の『十三夜』には、満月にあと一歩のところで届かない欠落感が込められているのかもしれないというのも、より鮮やかな感覚として迫ってきます。

日暮れと共に東の空に顔を出し夜の間中輝いているのは満月だけ。それは一月の内一日だけのこと。あとは、日の入り日の出に全く関係なく、それぞれのペースで「月の出月の入り」するんだね。クラスでそう話したところです。

月は昼間にもよく空に出ているのよ、暗くないから見えないだけでね。そんな話もしていました。昼間の月を「Children’s moon」というのだそうです。ひとつには、子供は空に月が出ている夜はだいたい寝ているから、もうひとつには、子供は昼間の空に月が出ているのを大人より敏感に(視力がまだ衰えていないということもあるでしょうね)見つけられるからとのこと。生徒たちと共に、私も学んでます。(笑)

欠けしもの両手に抱き寒の月    真意子

温かい週末をお過ごしください!