マインドフルネスについての応答03

2014/10/24「毎日歯を磨くようにマインドを整える」
http://kosodatekyua.com/2014/10/mainichihawomigakusyounimindwototonoeru/

>>Sasaki,Nobuo
October 25, 2014

》叩きのめすでもなく、緩み過ぎるでもなく、そのバランスをどうとっていくかだよね《

 私の場合は、「鬱を克服する」とかいう発想はある時点で捨てましたね。むしろ、「鬱とうまく付き合っていく」とか「鬱を手なずける」という方向に考えて、気楽になった。そう考えると力みが抜けて、バランスがとれた付き合いができるようになったと思います。

 つまり、ひとより少し風邪を引きやすい体質みたいなもんだと考えて、引きそうだなと感じたときに適当なケアをして悪化しないようにする。ある時期まで抗鬱剤が手ばなせなくて、常に持ち歩いていた。で、少しおかしいなと思ったら、それを飲んで気配を散らせていたけど、今ではすっかり薬も必要としなくなってます。

 そういう「鬱との付き合い方」の面で言うと、私の場合は森田療法でしたが、マインドフルネスの考え方や実践がとても役に立つと思います。ちょいと呼吸を整えるとか、普段からコツをつかんでいると薬にたよる必要もないし、いざとなればこれで何とかなるという安心感もあります。薬を手放せなかったのも、そういう安心料だったのだと、今では思われますね。

 禅仏教では、心を丹田におさめる、という言い方をしますね。丹田がどこにあるかよく分からないけど、体の重心みたいな場所でしょう。心臓に心があるとか頭で考えるとか、実際よりは頭でっかちで重力バランスが狂いがちなのが人間ですね。さらに、マインドは糸の切れた凧のように勝手に飛翔したりもします。そういう状況で、丹田ないし体の重心にマインドを結びつけて、そこで自在に活動させるような状態が理想だと思われます。

 鬱というのはマインドが極端に振れる状況ですが、通常の状況でも同じでしょう。人のあらゆる生活場面で、マインドフルネスは有効だと思いますよ。子育てなんて、こちらが振れなくても、勝手にあっちこっち振れまくってくれるでしょうし(笑)
 

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>>長岡真意子
October 27, 2014

佐々木さん、コメントありがとうございます!

「治す」ではなく、「鬱とどう付き合うか」と発想を変えたことで、力が抜けていいバランスがとれるようになられたんですね。「風邪を引きやすい体質」というぐらいの捉え方で、風邪をひきそうになると、ちょっと厚めの服を着てみたりお風呂に入って温かいものをいただいて早めに寝たりするように、鬱病もちょっと悪化しそうだなと思うと、薬を飲まれたりとされていたと。なるほどです。

「体質」とうまくつきあっていく、そう思うと、変えていかなければ!と意気込むよりも、確かにリラックスして向き合えますね。マインドフルネスでも、「治そう」という気持ちは横においておいてくださいというようなことを最初に言われます。逆に「全く効きやしないよ」という姿勢でもなかなか難しいのですが。結果を求めて期待し過ぎず、気持ちをオープンにしているような状態がいいんですね。

森田療法などを試され、マインドフルネスの呼吸やコツなども、安心料として役に立つと思われるとのこと、記事の友人も佐々木さんの言葉に励まされると思います。

昨夜ももう一人やってみたいなあという友人と話して、一緒に試してみようということになりました。俳句を作る方達でもあり、わいわいと楽しく取り組んでいきます。

「頭でっかちで重力バランスが狂いがちなのが人間」、まさしくそう思います! マインドフルネスも、頭がぱんぱんになっているところを、下に下にと下ろしていくようなイメージです。禅仏教では丹田なんですね。確かに普段「腹が据わる」どころか、頭ばかりに重心がいってよろよろと何ともバランスが悪いと感じています。熊野の修験道の方と話していた時、「左足の親指」で考えるんだとおっしゃっていた言葉を思い出すことがあります。マインドフルネスでは歩いている場合は地面や、椅子に座っているならば椅子との「接点」を意識するというようなことを言うことがあるのですが、確かに意識を「接点」へとシフトさせることで、すっと落ち着く感があります。

「問題を抱えている」場合から、「よりヘルシーに」まで、日常的にバランスをメインテナンスできる術を身につけられたらいいなと思ってます。子育て、本当ですよ、毎日そりゃもう勢い良くぶんぶん振り切れさせてくれます。(笑) そんな中日々、マインドフルネスに随分助けられている、そう実感しています。

佐々木さん、ありがとうございます! そちら日本は月曜日始まりましたね。こちらは日曜日、今からパンケーキ作ります。良い日々を!
 

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>>Sasaki,Nobuo
October 30, 2014

http://logmi.jp/26481

”TED”からの抜粋なので、論旨がたどりにくいようですが、面白いことを言ってるように思いました。

私たちには「経験の自己」と「記憶の自己」とがあって、物事の判断や行動指針にそれらが関与します。で、極端な例外的経験が記憶に残りやすいので、「記憶の自己」に判断させると、偏った決定をしがちになるようです。

「経験の自己」として、平和で幸福な経験の時間が圧倒的に多いにもかかわらず、ちょっとしたトラブルに悩まされたりすると、それが「記憶の自己」に強くインプットされて、不幸感の方が多く占めたりするということですね。

これは「飛翔するマインド」を放置して「プリゼントにフォーカス」すると言うのに似ていませんか。せっかく平和で幸福なプリゼントを忘れて、あれやこれや過去や未来の勝手な想像のために悩んだりしてるんじゃないですか、という話として理解してみました。

「平和は単調で退屈だが、戦争はそれぞれに個性的で刺激的である」というような話を聞いたような気がしますが、同様に「幸福は退屈で記憶に残らないが、不幸な出来事は記憶に残りやすい」ということでしょう。

恋人たちが、恋愛中の幸せな日々よりも、別れたときの出来事が記憶に強くインプットされるようなもんだけど、そのような「記憶の自己」で一切恋愛をしないという決断をしたら、それこそ不幸な判断になりかねない(笑)
 

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>>長岡真意子
November 1, 2014

佐々木さん、コメントありがとうございます!

「長い間幸福について考えあぐねている学者の一人」という心理学行動経済学者のダニエル・カーネマン氏の幸福についての説明、とても興味深かったです。

幸福を妨げる要因には、「経験の自己」と「記憶の自己」との混同があると。

楽しく満たされた瞬間がたくさんあったとしても、少しでも嫌な体験が加わると全てが嫌な出来事として記憶に残ってしまうことがある。素晴らしい音楽の最後にとんでもない雑音が聞こえたり、大腸内視鏡検査の実験でもあるように最後に嫌な目にどかんと会ったりするなら、それまでの全ての体験がもう最悪のものとして記憶に残ってしまったり。

なるほどです、それは確かに、「プリゼント」から離れ、「飛翔するマインド」にがんじがらめになっている状態とも、言えるのかもしれません。

瞬間瞬間の体験がそのままフェアにとらえられるのではなく、偏った記憶としてゆがめられ、それらが「幸福である/ない」という判断に用いられてしまう。

確かに氏が言うように、「幸福というのはもっと複雑なもの」なのだと、自らの瞬間瞬間の体験をフェアに眺め直してみる必要があるのかもしれません。

平和と戦争、幸福と不幸、瞬間瞬間の平和や幸福により気がつき、それらがより「幸福である」という判断に組み込まれていくのならば、また人も社会も変わっていくのかもしれませんね。

恋愛、本当ですね。確かに体験した瞬間瞬間の喜びを、フェアに眺めて。ポジティブ、ネガティブ、どちらにしてもワンサイドだけをみるのなら、「ファンタジー」でしかなくて。ファンタジーから抜ける時、次へのステップも開けるのかもしれません。

いつもはっとさせられる言葉の数々、ありがとうございます。今日はハロウィン、長い夜になりそうですよ。そちらは週末ですね、佐々木さん、どうぞゆったりとお楽しみください!
 

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>>Sasaki,Nobuo
November 1, 2014

補足です。幸福と不幸に関する名言、出典が分かったので記しておきます。内容の記憶もあいまいでした。

》「すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。『アンナ・カレーニナ』《

あと、夢についてですが、我々が目が覚めたときに覚えている夢は、目覚めの数秒前に見たものだけで、寝ている間には膨大な夢を見ているのだけれど、起きたときにはすっかり忘れているのだという話も、どこかで聞きました。人間の脳はしっかりしているようで、いろんなとこで欺かれていることも多いようですね。「脳自身の過ちは脳自身では気づけない」といったことは心しておくべきかも知れません。
 

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>>長岡真意子
November 2, 2014

佐々木さん、ありがとうございます!

アンナ・カレーニナ』からだったんですね。違う作品になりますが、トルストイの『懺悔』は、私自身学生時代何度も読み直し、心の奥底に響き続けていた作品なんです。最後は「夢」の話で終わっているのですが、とてつもない高い場所でチューブのようなものに横たわっていて、それでも、「大丈夫」だということを覚えておく、というような内容だったと思います。頭ではちんぷんかんぷんだったこの「大丈夫」という感覚が、年月を経、以前よりは感じられるようになったかなと。

マインドフルネスも、この「大丈夫」といった「戻る場」のようなものを、観念ではなく、呼吸にフォーカスしたりと、感覚として身体化していく作業なのかなとも思っています。

夢は私自身よく見て覚えている方だと思うのですが、確かに、膨大に見ている中のほんの一部分なのかもしれません。
「人間の脳はしっかりしているようで、いろんなとこで欺かれていることも多い」
覚えておきます。点を全体化してしまう粗さ、見つめていきたいです。

「脳自身の過ちは脳自身では気づけない」
実感しています。ちょこちょこ軌道修正するには、身体感覚が有効だと。
いつもありがとうございます! 日曜日、お楽しみくださいね。 感謝を込めて。