『海と毒薬』遠藤周作

海と毒薬

『海と毒薬』遠藤周作
 
 太平洋戦争中、撃墜された爆撃機の搭乗員であった米軍捕虜が、ひそかに生体解剖の実験対象にされたという衝撃的な事件が、終戦後明らかになった。この事件を題材にしたことは間違いないが、著者はこれをセンセーショナルな題材として扱うことなく、細心の注意を払い抑制された筆致で描いている。

 タイトルは「海と毒薬」であるが、これに「罪と罰」という対句を重ねると主題は明快になってくる。しかし外形的には、その行為は明確に罪であり、関係者はすでに罰せられているので、ここでそれを再度問いなおすことに意味はない。軍部および医学界の首謀者は、裁判により明確に罪を問われ処罰された。しかしながら、医学助手や看護婦として受動的に関与した脇役にとって、「内面的な罪」はきわめて曖昧となってくる。著者は、これらの受動的に関与した「弱きひと」の内面に焦点を定める。


 遠藤周作の作家的テーマは、ずっと一貫している。自我の確立をまたずにカトリックの洗礼を受け、その一神教的世界を深く内面化しつつも、一方で汎神論的な日本人としての心性も強く引き継いでいる。そのような日本人にとっての「神」とは何か、それを一貫した主題として作品化しており、この作品も例外ではない。

 二人の医学研修医ないし医学生と、もう一人、離婚して生活のために復帰した看護婦の内面が描かれる。彼らにとっては、関与した事件において、それが罪に値することははっきりと認識されており、処罰されるであろうことも当然と受け止めてられている。しかしながら、なんとなく流れに乗って関わることになり、主体的に参画したわけではない。かといって、拒否できる余地もあったのに、はっきりと拒否もしなかった。


 まわりが虫けらのようにどんどん死んでゆく戦争末期において、いずれ自分たちも死んでゆくのだという彼らの意識を、この「なんとなく」という抗いがたい惰性が、どんよりとどす黒い「海」のように取り巻いており、目の前の「毒薬」に手を出すのにもほとんど抵抗がない状況にあったわけである。

 理屈ではたしかに罪だと考えているのに、心情ではどうしても腑に落ちない。このような日本人的心性にとって、キリスト教的世界でもっとも理解できない概念が「原罪」ではないだろうか。主体的に行ったわけでもないのに、なぜ罪なのか。何ゆえ、遠い昔のアダムとイヴの世界の罪を背負わなくてはならないのか。

 仏教でも似た概念に「業(ごう)」というのがあるが、輪廻転生の世界観のもとで引き起こされる一連の事象であって、必ずしも罪に相当するものではない。因果応報とはいえ、必ずしもその因果が直接的に繋がるものではなく、めぐり合わせの悪さみたいなものに支配された世界観である。その場合、罪を引き受けるのではなく、それが「業」だとしてあきらめるのである。

 「これは、はたして罪なのか?」という問いを、遠藤周作は繰り返し問いかける。それはキリスト教との深い関わりの中で出てきた疑問であり問いであるが、たとえわれわれがキリスト教徒ではなくても、キリスト教世界で発生した「近代」の洗礼を受けている以上、もはや無関係ではいられない問いである。あちこちで、その姿を変えて登場して来る問いである。


・映画『海と毒薬』(1986年/熊井啓) ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E3%81%A8%E6%AF%92%E8%96%AC_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

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【参考】
○1948.3.11 [神奈川] 横浜軍事裁判所で、九州大学生体解剖事件の軍事裁判が始まる。(1945.5 米軍捕虜8人に対して行われた生体実験殺人)
 


 戦争末期の1945年5月、撃墜された米軍のB-29爆撃機が九州阿蘇山中に墜落し、生存搭乗員9名が捕虜となった。指令部からは、尋問のため機長だけ東京に送り、後は各軍司令部で処理すべしという指令が出され、西部軍司令部は裁判をせずに、残された8名を死刑と決定した。これを知った九州帝国大学卒で病院詰見習士官の小森卓軍医と石山福二郎主任外科部長(教授)は、生体解剖に供することを軍に提案し認められた。

 生体解剖は1945年5月17日から6月2日にかけて行われ、軍から監視要員が派遣され、指揮および執刀は石山教授が行った。終戦GHQが事件について詳しく調査し、九州大学関係者14人、西部軍関係者11人が逮捕された。首謀者の一人とされた石山教授は、生体解剖については否認したうえ、調査中に独房で遺書を書き記し自殺し、小森卓軍医は空襲のため死亡している。

 1948年8月に横浜軍事法廷で、西部軍責任者2名、九大医師3名が絞首刑とされ、立ち会った医師18人が有罪となった。これらの手術が銃殺刑の代わりの、生存を考慮しない生体実験手術であることは、立ち会った関係者の目には明らかであった。後に作家遠藤周作は小説『海と毒薬』を著し、不可避的に立ち会わされた医学生や看護婦の目を通して、危機的状況の下では、惰性に流されて倫理感を喪失してしまう日本人の性質を描き出している。