現代伝説考26

「手術入門」という本を読みながら・・

3.あやしげな行為
『#35-1入門書を読む執刀医』
《手術台に横たえられた患者の前に、『外科手術入門』という本を持って現れる執刀医、なんてのはタチの悪いユーモアかな(^^;。》
 ここでとりあげるのはさきの「変人・奇人」とは異なり、普通の人でありその行為にもいちおう納得できる目的性があるのだが、なにか常道をはずれた妖しげな行為をする人々である。常人に限りなく近いだけにその奇矯な行為がかえって怖さや滑稽さを生じさせるのであろう。

 噂ではなく実際の出来事であるが、「風船オジサン」という人がいた。アドバルーンに毛がはえたような軽便気球で太平洋横断にいどんだオジサンの事件である。数千メートルの上空ではすぐに凍死してしまうような軽装備、連絡用にはなぜか無線機ではなくすぐに音信不通になる携帯電話、食料にはスナック菓子のポテトチップスがあったとかで、どう考えても「冒険」ではなく「奇行」である。しかし命をかけた奇行であるだけに、なぜかいつまでもわれわれの心に茫洋とした印象を残しつづけている。

 精神障害であるとか自己顕示性のつよい自殺であるとか、識者たちは常識の枠におさまるような理由づけをしてくれるであろう。しかし彼の奇行からは、さまざまな噂のふくらむ余地がある。噂の支持者たちは、そのような単純な理由づけにはおさまりきらない何物かを鋭敏にかぎつけて噂のロマンを発酵させるであろう。

 ある人は、南海の孤島でロビンソン・クルーソーのような生活をいとなむ風船オジサンを空想するかもしれない。あるいは、新宿のホームレスの群れのなかに彼を見つけたと言いだす人がでてくるかもしれない。「紙風船で延々とお手玉をし続ける風船オジサンの顔はかぎりなく幸せそうであった」などというオチがつけば、そのまま「風船オジサン伝説」として人口に膾炙していくことであろう。

 壮大な目的と現状認識の桁はずれな乖離は、場合によっては突飛なロマンを出現させる。中世の騎士を気取ったドン・キホーテは、その意図とは関係なしに「近代」という怪物を発見してしまった。風船オジサンの奇行も、「現代」という奇っ怪な怪物をわれわれの目にさらしてしまったのかもしれないのであ る。

 われわれの人生は、風にただよう「風船旅行」のようなものかもしれない。そしてその目的地はけっしてアメリカ大陸などではなく、新宿駅の通路でお手玉をつきつづける「ホームレスの幸福」であるのかもしれないのである。

 ホームレスの心に一縷のロマンをえがくのも現代人の特権であろうが、ホームレスにも当然ながら生活がある。そして、生活とは卑近な行為の積み重ねであるにすぎない。ロマンに卑小な目的行為をさし添えると、とたんに滑稽な現実があらわれでてくる。

『#80-1ホームレスと猫』
《下町のある路上生活者は、ネコを飼っていて、とてもかわいがっていた。非常に可愛いネコなものだから、通りすがりのOLや女子高生が寄ってくる。中には「これで何か食べさせてあげて」とカンパを申し出る子もいて、もちろんそれはワンカップ大関になってしまう。
 最近は、それを目的にネコさらいをするホームレスが増えており、それも器量好しのネコしか狙わない。》
 「卑小な目的と奇行」からくる滑稽といえば、さきにもあげた「就職試験伝説」のかずかずもそうであろう。

『#106-12就職試験の伝説の数々』
《これもすでに数多くの方からの報告がありましたが、1984年の京都でも伝わっておりました。「男は黙ってサッポロビール」とか、就職辞退者に熱いコーヒー(お茶の話も)がかけられた話とか、親子丼を頭からかけられた話、内定者を香港だか台湾だかに監禁した話、ソープランドに軟禁された話とか。しかし、当時も今も、どれもその当事者だという人に会ったことがありません。》
 つぎの話題も、得られる成果とそれに費やすであろう労力との落差がおもしろい。

『#504-1パック寿司の出前』
《昼飯前のオフィス街にすし屋があらわれる。
 「今30人前の注文を受けたんだけれど、どうやら子供のいたずらだったらしいんですよ。こちらでひきとってくれれば半額でいいんですけれど、」
 客がOKするとすし屋は「じゃ、今もってきますから」といって姿を消しやがて手に安っぽいスーパーのビニール袋をもってあらわれる。その間およそ10分。
 「それじゃ500円でいいですから」といって、個数分の料金を受け取りすし屋は消える。お昼になってビニール袋からすしを取り出してみると、中にはどこかのスーパーで買ったと思われる、ひいき目にみても300円はしないパックの寿司が。あの10分でスーパーへ買いにいったものと思われる。》