現代伝説考14

巨大なダムに・・・

2.人体消滅
 このテーマも人体断裂系の話の延長線上に位置づけられるであろう。人体断裂は直接的な痛みだったが、ここでは人体そのものが消滅するという恐怖が付加されてくる。まずは、いささか滑稽味のある話から。

『#57-5人の熔けたキャラメル』
《これも何人かの方が書かれていたのと同モチーフですが、わたしが小学生のころ、地域に食品工場があって、そこにまつわる話として子供達の間に流布していたもの。いわく、「あの工場でキャラメルを作っているんだけど、キャラメルの原料を煮詰める大きな釜の中に工員が落ちてしまい、助けようにもどろどろに溶けてキャラメルから分離することができなくなってしまった。仕方がないから、そのキャラメルはすべて出荷した」。煮えたぎるキャラメルは確かに高温ではあるでしょうが、溶鉱炉じゃないんだから、こんなことにはならないと思いますけれども…。
今から20年ほど前、北関東の小都市で聞きました。》
 太古から、死への想念は人間を恐怖に直面させてきた。身近な者の死に接して、自らの死をおもいやる。自分がこの世から消えていくことは、なににもまして恐ろしいことであろう。それが観念のうえだけのことなら、宗教や哲学も畏れをいやしてくれるであろうが、おのれの躯が徐々に融けていくのを想像するとき……。これはもはや生理的な恐怖である。

『#145-4研究室で溶けた学生』
《学校や校舎と死体、幽霊の話は多いですが、ストーリーとしては、手塚治虫さんの作品に、遅くまで研究室に残り、下宿に帰ろうとすると、講堂に下級生が一人のこって勉強している。毎回同じ所にいるので、感心だなーと思い、今日もいるのだろうかと気にするようになり、いつしか話すようになった。聞いて見ると、勉強していたら終電に間に合わなくなったから残っているんだというわけです。
 まぁ、うろ覚えですので、間違ってるかもしれないけどね。で、その教室でうとうと主人公が寝てしまった。その間にみた夢の中で、主人公が現在やっている秘密裡の研究と同じ様なことを居残りの学生がやっていて、ひょんなことから死んでしまうのです。身体の蛋白を全部溶かしてしまう軍用の兵器薬の開発だったのですけど……、学生が溶けてしまい、そんなものは作らない方がいいというような啓示を受けるわけです。
 はっと目がさめて、もしやと思い、教室の前においてある骨格標本を良く見てみると、毎夜その教室で出会っていた後輩の名前がそこにあった、という話なんです。しかも随分前の標本・・・。》
 底なし沼に人知れず沈んでいく話にも、えもいわれぬ恐怖がつきまとう。これは単に死へのおそれだけではなく、徐々に沈んでいく時間の流れそのものに恐怖があるからであろう。

『#290-1ダムのコンクリートに生き埋め』
《今をさること30年前(たぶん)、黒部峡谷に巨大なダムができました。当時、日本は高度経済成長のただなかにあり、黒四ダムは技術立国日本の象徴のように報道され、映画も作られました。この巨大なダムが完成に至るまで膨大な人員が登用されたことは間違いありませんが、これだけの大工事、工期中に命を落とした方も少なくなかったとか。中でも悲惨なのが、コンクリートの底無し沼。コンクリートを型に流し込む時、どうしてもスが出来てしまうので、あちこち棒でつついては均質さを保つのだそうです。
作業の人はみな身の安全を確保してるのですが、なにせ朝から晩までそれですから、気がつくとひざまでコンクリートがきていることもしばしば。ひざくらいだったら、使い込んだゴム長をコンクリの海の底に残して、自分だけ安全な場所に非難することが出来ますが、どうした理由か何ヶ月かに一人、ゴム長と一緒に海の底に沈んでしまう方がいるのです。ひざまでなら自力で、腰まできても他人の助けを借りれば脱出できます。しかし胸まできたらもう・・・。》
 自然の沼などに沈むのであれば、まだ自然への畏れといった宗教的な想念に解消も可能である。だが、たくさんの人がはたらく場所で人間の工作物に沈んでいくとなれば、もはやなんの救いもない悲惨である。巨大なダムのコンクリートに沈められた作業人の魂は、ダムにとりつく怨念にでもなって恨みをはらすしかなかろう。この種の恐怖は、E・アラン・ポー『早過ぎる埋葬』の物語を想いおこさせる。もちろんこれは、埋葬されてから息を吹きかえした人々の恐怖の物語であるが。