『Get Back! 70’s / 1971年(s46)』

70s 学生の部屋

『Get Back! 70’s / 1971年(s46)』(今回より、ジャパン・クロニック『日本全史』からキャプション等を引用)

#そのころの自分#
 大学の3年生から4年生、大学も落ち着いてきたので神戸のJR摂津本山駅前に下宿し始めた。いろいろ動いてみたが、結局、以前の孤独な下宿生活に落ち着いた。始発電車が駅をガタゴト通りすぎてゆく音を聞きながら眠りに落ちるような生活を続けていた。いちおう就職試験なども受けて内定を取ったが、国粋主義的な創業者の著作物をどかっと送ってきて読めということで、卒業・就職するという意欲もなえた。一方で、自分の文学的なセンスにも見切りをつけたようで、雑記帳もこの年で書くのを止めている。結局、惰性あるのみ(笑)

 
○5月 群馬「連続婦女暴行殺人事件の犯人 大久保清が逮捕される」

 ベレー帽にルパシカをまとい画家を自称、白いスポーツカーを乗りまわして、若い女性を絵のモデルにと誘い、あげく強姦、殺人、そして遺体を土中に埋めて遺棄、なんともやり切れない事件であった。その一連の事件での被害者は、未遂などを含めると数え切れないが、少なくとも8人の若い女性が殺されている。

 それ以前にも幾度か性犯罪を起しているが、20歳のとき女子高生を強姦して、初犯ということで「懲役1年6か月・執行猶予3年」の判決を受けている。あまりにも軽い判決とともに、矯正措置などどうなっていたのかと疑われる。「大久保清」という名は、戦後の性犯罪史に深く刻まれることとなった。

 
○7月 東京「日本マクドナルドが、ハンバーガーレストラン1号店を銀座三越内に開店する」

 コカコーラの日本上陸と並んで、マクドナルドの出店は刺激的だった。コカコーラを片手にマクドナルドにかぶりつく、これがアメリカの食文化かと感激したものだ(笑)。当初、当時日の出の勢いだった中内功率いるスーパー・ダイエーが日本の代理店となる予定であったが、双方の条件が折り合わず、藤田田がそれに代って日本マクドナルドを設立した。中内は、マクドナルドと張り合うようにドムドムハンバーガーを作って、ダイエーのテナントとして展開した。

 米本部からは郊外展開を指示されたが、藤田は銀座一等地への出店にこだわった。いまだと渋谷一等地に、海外ファッションブランドが出店するような戦略である。その通りで、ファーストフードではなくファッションとしての展開を意図したわけだ。日本の一等地でファッションブランドとして確立したマクドナルドは、やがて次々と全国展開してゆく。

 開店時の価格は、ハンバーガー80円、チーズバーガーやフィレオフィッシュが100円、いまだと4〜500円ぐらいに相当し、かなり高価格感のはずだが、当時日本の高度成長経済は、そのうちむしろ安いと思えるぐらいに成長していった。写真は、銀座通りの歩行者天国でにぎわうマクドナルド銀座三越店。

 
○7月 岩手「全日空機と自衛隊機 雫石上空で衝突 旅客機の162人が死亡」

 予定航路を自動操縦で飛行中の全日空機に、訓練中の自衛隊戦闘機が入り込んで空中衝突するという、考えられない事故が起った。衝突後、全日空機は音速の壁の衝撃波で空中分解し、人がバラバラと降ってくるという衝撃的な目撃情報もあった悲惨な事故であった。

 自衛隊機のパイロットは脱出して生還、旅客機は乗員乗客162人全員死亡ということになり、これは85年の日本航空123便事故がおこるまで、最大の航空機事故だった。

 直接の原因は、自衛隊側の訓練空域の設定ミスや、訓練教官の誘導ミスなどが問われたが、当時の航空行政がプロペラ機を前提にしたもののままであったりと、かなり遅れたものであったことが批判された。

 
○8月 アメリカ「ニクソン大統領が、金・ドル交換の一時停止、10%の輸入課徴金実施など、ドル防衛措置を発表する。16日、東証ダウは記録的大暴落(ニクソン・ショック)」
○12月 ワシントン「10カ国蔵相会議が金1オンス=38ドルなどで合意する(スミソニアン合意)」

 図にあるブレトン・ウッズ体制とは、戦後先進国の自由貿易体制を維持する為に結ばれた通貨協定。ドルを基軸通貨とし、金・ドル固定相場で兌換を保証した金ドル本位制であった。当時、1ドル=360円という長期の固定為替相場を知っている人は、この時期の経験である。

 しかしベトナム戦争での疲弊などで、米ドルがその金兌換を維持できなくなっってきた。そこで米大統領であったリチャード・ニクソンは、ドルと金の兌換を一時停止するというドル防衛措置を電撃的に発表し、各国の証券取引所は株価の大暴落をひき起こした。

 そして年末には「スミソニアン合意」が為され、各国の為替相場が一時的に変動相場に移行する。まだ変動幅を決めるなど、従来の体制の枠組を維持しようとする合意であったが、やがてそれも維持できずに、73年には各国が完全な変動相場制に移行することになった。スミソニアン合意時でも1ドル=308円で、1ドル=100円前後の現在など、当時は想像もできなかった(これは、ほぼ3倍の円高になっていることを意味する)。

 
【話題になった本】
イザヤ・ベンダサン日本人とユダヤ人』/高野悦子二十歳の原点』/大岡昇平『レイテ戦記』/大原富枝『婉という女』/『non・no』創刊

二十歳の原点』案内>http://www.takanoetsuko.com/

【流行語】
「ニアミス」「脱サラ」「シラケ」